知られざる偉人館

様々な有名人、偉人の名前を「お題」として出題してもらい、そこからありもしないエピソードや経歴を即興ででっちあげるというゲームをしています。

長州力

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※カメラを前に睨みを効かせる力


明治初期に数多(あまた)の女を虜にし、異性だけでなく同性までもを手玉にとった遊び人。その狙った獲物は必ず惚れさせるという数多くのエピソードと、福島県出身であることから「福島のやり玉」という異名を持つ。かの有名な明治天皇の初恋の相手、小沢清美をモノにしたという逸話もあるほどだ。力は福島県白川町にて桃農家の両親の元に三男坊として誕生。

比較的裕福な家庭であったが、長男、次男共に貧弱気味であったため両親は付きっきりであった。

そのため、あまり手をかけられずに育ったことから力は寂しさを埋めるためその容姿端麗な顔立ちを生かし小等学校入学前の5歳の頃から町の15歳から18歳の女学生を手玉にとっていた。

熱狂的な力のフアンも多数存在し、力は小等学校の文房具や衣類などは全て女学生から贈られたものを使用し、一度も両親から買い与えられたことはなかった。その後、両親の願いもあり力は働けない兄たちに代わり桃農園を手伝うことに。毎日朝から晩まで桃の木の世話や、桃の加工品作りをしていたため力の体臭は桃同然であった。

そのことがより一層力の魅力を引き立たせたのである。13歳の誕生日を迎えるころには、40人を超える15〜60歳の女たちが取り巻きとして常に存在し、無償で桃農園を手伝い衣食住を共にした。力の体に触れたものは喜びのあまり失神する者もいた。その成果もあり、長州家の桃農園は大繁盛し、もともと70坪ほどの平屋であった家は増築し、女衆も住めるように倍以上の160坪になった。

晩年は、匂いを嗅ぎつけたアフリカの商人がペリーの孫のツテで舶来し、18〜76歳までの計34名のアフリカ人男性が力に求婚した。(※当時同性婚は認められていなかった。)力はその中のサンボと名乗る64歳の男性を妻として迎え入れ事実婚状態になった。同性同士のカップルなど一切認められていなかった時代だったが、村の住民も家族でさえも力の常軌を逸した行動に慣れており反対する者すらいなかったという。残った女衆とアフリカ人男性は全員めかけとなり、71歳で生涯を終えるまでに力は263人もの子を持ったという。

現在でも力はLGBTQの偉人としてアメリカの小学校や、各国のインターナショナルスクールの教科書に掲載されている。(※力の行動は女性・男性軽視という見方もあるため反対運動も行われている。2019年10月時点)


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※ 増築した家の一室で誇らしげにカメラを見つめる力