知られざる偉人館

様々な有名人、偉人の名前を「お題」として出題してもらい、そこからありもしないエピソードや経歴を即興ででっちあげるというゲームをしています。

平塚らいてう

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※らいてう。王位継承式にて。


現在の中国大陸にあたる地域にて明の時代の王朝の姫君として生きた男性。実際は日本の一般庶民の位であったが、本人の思い込みが最終的に現実となった。らいてうは長崎県(※詳細不明)にて産まれる。親兄弟の情報は一切不明であり、豚に育てられた、天から突然降りてきたなどという信憑性の低い噂話のみである。

らいてうが歴史書に登場したのは明の「大明太伯書」の第68章である。「海から突如男やも女やも知らぬ人間あらわる。町人拾いてその男らいてうと名付ける。その人間、一切の記憶を持たず我この国のオサの姫君なりと喚き散らす。姫君を亡くして十日ばかりの王、すぐさま城に連れ帰りらいてうに全ての富与えけり。」(日本語訳:戸田奈津子)

らいてうは年齢さえも不明であるが、あるときは22歳、ある時は35歳と言い、添付された王位継承式の写真当時は12歳と発言したという。王はその虚言に何処かで気付いていながらも気付いていないそぶりを見せていた。

王はらいてうを姫君として迎え入れた際、28歳であったため、のちの研究によるとらいてうより20歳以上若かったのではないかという説が有力だ。

また、「大明太白書」第102章によると「らいてうの声は明白にも申し上げると美しいとはいえず、例えるならばトドのような男性の野太い声であった。また、入浴を手伝うものの証言では男性の体であった。」(日本語訳:酒井真奈美) とあるように、らいてうは男性であった。

王が流行病で42歳で亡くなると、らいてうは突然豪華絢爛な衣装を脱ぎ捨てももひき一枚で外へ出てそのまま帰らなかったという。

街の目撃者によると、日本語を流暢に話し、または長崎で漁師をしていたが沖合で船が遭難し明にたどり着いたとき何故か自分は姫君であると確信したと話して回っていたという。