知られざる偉人館

様々な有名人、偉人の名前を「お題」として出題してもらい、そこからありもしないエピソードや経歴を即興ででっちあげるというゲームをしています。

ダンカン

ダンカン


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1840〜1886年に栄えたと言われるサーカス団(日本で言う珍鈍衆)の座長。ダンカン(本名:ダン・チンホ・カンホ)は鼻が生まれつき特殊で、釘が鼻に突き刺さったような形をしておりその特徴を生かし片手にハンマーをもち鼻を打つ振りをして一躍サーカスの火付け役となった。だがしかしダンカンによると、この芸をするためには痛みが伴うため毎回芸をする前には大泣きをしていたという。大の大人が鼻の釘を垂らしながら大泣きをするという姿をスクープされ、世界の笑い者になってしまった。ダンカンはその後、表舞台から姿を消し裏方として、サン・ブランコ*1を生涯支え続けたという。

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※1…サンブランコ(ボーダー服を着る少年)


ジャガー横田

ジャガー横田


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本名「ヂヤンガディンドゥカイヌァ横田」 明治初期に活躍したアイヌ系女優。アイヌの迫害を受け、東京へ家族とともに移り住んだのち、明治座ムーンにて脇役女優として住み込みで働き始め

る。脇役ながら観客からの人気も高くその日本人離れした風貌と英語が堪能だったことから 「アメリカン横田」と呼ばれることもあった。本名の「ヂャンガディンヌ」からとった芸名「ヂャガー横田」を名乗る。

(※後に現代仮名遣いのジャガー横田に改名)


萬田久子

萬田久子 

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60年代に爆発的に人気を得たコメディアン。萬田は細身の体型だった為、細い手を蟹のように曲げ足をガニ股にして

左右縦横に歩くという芸で一躍人気のコメディアンとなった。 だがしかし爆発的な人気をよく思わぬ者もたくさんいたため萬田久子デモが起こり、テレビ出演した際には沢山の批判が殺到してしまったため自身の関係者への影響を考えた久子はある日公の場から姿を消してしまった。萬田はかつて人気だった蟹歩きの芸をしながら歩いているという噂もある(*資料 伝説の女流芸人「萬田久子」蟹のように歩く女から)


有村昆

有村昆

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トコちゃんベルト生みの親。

忌野清志郎のひい祖父でも知られる。1913年に自身のヘルニアが悪化し立ち歩くことが困難に。もともと散歩が趣味であった昆は、なんとかまた歩けるように模索する中でトコちゃんベルトが誕生。もとは妊婦用ではなく、腰痛対策ベルトであったが、昆の腹のでた体型から妊婦用と勘違いされ、妊婦用として代用され大ヒットした。


与謝野晶子

与謝野晶子


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※同じ悩みを抱えたサークル仲間と自作のブラジャーを着用しポーズを決める晶子(左)


日本で初めて女性用下着を履いた人。幼少時代、 女性なのに体毛が

濃くそれは恥じていた与謝野は胸元にも毛が生えており同じ悩みを抱える者たちのために胸元を隠す乳房バンド、またの名を乳房ホルダー(のちのブラジャー)を作った。 初めは馴染みのないもののため不発に終わったかと思いきや、新しいファッションと捉える若者が増え始め大ベストセラー商品となった。


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※晶子の開発した乳房バンドの広告記事



舛添要一

舛添要一※1


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※1 カンカン帽を被りローラースケートを履く要一


カンカン帽を日本で初めてかぶった人。昭和50年にイギリスへ渡った

際に、舞踏会参加中に知り合った日系イギリス人のモダンデザインナー、シャロンマーズ※2により当時発売前だったカンカン帽を贈呈され帰国。

カンカン帽にももひき、ローラースケートという最先端のファッションで銀座の街を滑り歩き一躍人気となった。


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※2 談笑するシャロン(右)と要一