知られざる偉人館

様々な有名人、偉人の名前を「お題」として出題してもらい、そこからありもしないエピソードや経歴を即興ででっちあげるというゲームをしています。

芥川龍之介

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※自作の着物を着る龍之介


幕末に特殊な呉服店を流行らせ名を上げた男。武家出身で幼少期は寺子屋へ通い武道と勉学に励んだ。兄の良之助と共に優秀であったが龍之介の日課は他の武家の子供とは一癖違うものであった。寺子屋が終わると大抵の子供はチャンバラ遊びや、かけっこのような遊びに勤しんでいたが、龍之介は密かに母親や、使いの女人の肌着を20着ほど取り出し、台所にある野菜の皮や食材をこすりつけたのちに乾燥させ、何事もなかったかのように箪笥に戻すのであった。しかし、密かな龍之介の趣味は長くは続かなかった。使いの女人のうちの一人タエが龍之介が牛乳を浸して乾燥させた肌着を着たところ、アレルギー反応が出てしまったのであった。町医者が全ての肌着を回収し、検査したところ、すりつぶしたカブ、じゃがいも、玉ねぎ、ナス、卵の殻、豆腐などが全ての肌着に擦り付けられていた。犯人探しが始まり、女衆の部屋に出入りできる者は子供しかおらず龍之介も例外ではなかった。7人の子供が集められ一人一人問い詰められた。いよいよ龍之介の番だ、というときに突然兄の良之助が立ち上がった。こぶしを握りしめながら「やったのはわしじゃ、罰を甘んじて受けよう。」と力強く言った。良之助は龍之介の趣味を知っていたのだった。他の子供に馴染めずにいた龍之介を不憫に思った兄心であった。

その事件があり良之助は武家の長男の座を龍之介に譲り当時最先端であった科学の学問の道へ進んだ。しかし龍之介は趣味を奪われ廃人状態になってしまい破門。またしても心配した良之助は、龍之介の特殊な趣味を生業にすることはできないかと考え、科学的な観点から着物に食物を練り込み染色や香り付をすることを思いつき、自身の財産を全て研究に注ぎ込み良之助86歳、龍之介78歳の時に完成。野菜着物はファッションに敏感な若い武家の娘たちにたちまち人気となった。

龍之介はその頃廃人になって60年以上経っていたため口も聞かずものを食べることも兄任せであったが、野菜や牛乳を着物の生地に練り込むことだけは懸命であった。95歳で死ぬまで一心不乱に練り込み続けたという。


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※ナス着物をきる龍之介(93歳)と、じゃがいも着物を着る親戚の芥川松(24歳)